大山崎秋茶会「半輪秋」

2012年10月6日(土) 10月7日(日)

蛾眉山月半輪秋       蛾眉山月半輪の秋の月よ
影入平羌江水流       月影のみが、平羌江の水上へ入る
夜發清渓向三峡       夜、清渓から山峡へ旅し
思君不見下渝州       君の姿を見ぬままに渝州へと下る                   

(唐代 李白 『蛾眉山月歌』より意訳)

第二十一回目を迎えました大山崎茶会。

名月清風の頃、すずやかな秋の風韻あふれる新茶をはじめ、年代を経た珍蔵茶などを
楽しんでいただく茶会を催します。
あずまや庭においては、陰陽太極大円卓を設置。
大円卓を囲んでお茶をのみ、大いなる自然の英気と一期一会を。

監修:中国茶会 黄安希
茶藝:大塚美雪、長島博子、末松剛介、和田由紀、竹内貴美子、古澤江実、三山香奈子、戚暁輝、曽根綾恵、金本徳祐、市場静枝、田中ゆかり 和田あづさ 西村慶子、増地恵美子、後藤美知子 中野優里、長尾真子、横山晴美、赤井珠真子、西原ひとみ 西原禎志、島田有貴、樺嶋佳子、大内眞奈美、藤田昌子、藤野真紀、伊藤静子、大野真理子、中村里子、西村沢子、小倉康代、木下敏江、白橋晶子、安間賀世、大軽恵美子、月本小奈恵 田津原寛子 吉住和恵、二川美知枝、工藤和美、加藤幸江、堀口一子、栗川智香、飯國悦子、梅原由佳、余百加、黄研、黄安希
於:アサヒビール大山崎山荘美術館
文責:黄安希

陰陽太極大円卓(あずまやにて)

相対する気が向かい合い、一方が生じて次第に勢いが強まり臨界に達したところで、逆の気に転換します。一方がなければ、もう一方は存在しません。それを図形にあらわしたものが陰陽図で、黒と白の二匹の魚が互い違いに円の中におさまっており、老子のあらわした道教のシンボルになりました。
陰は黒、陽は白。
陰は静、陽は動。
陰は女、陽は男。
陰は月、陽は太陽。
陰陽は、天地、万物の根源です。
万物の根源は、「元気」(生命力のさかんな状態)から生まれたのです。
何事も元気があってこそ。
元気があれば、自然に開かれた道をなすことができます。
「道生一 一生二 二生三 三生万物」
道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三からは万物を生じる。

茶は、
一、 水を沸かし
二、 茶葉を投じて
三、静かに待ち
四、味わう

陰陽太極で大円卓を作りました。たくさんの人と一緒に座って、お茶を味わってみて
ください。白いお茶、黒いお茶、丸いお茶、四角いお茶、芽のお茶、葉のお茶。
相対するこの世界は、不完全であるから美しい。ひととき、平和な味わいを。
緩急 清濁
濃淡 甘苦
おいしい まずい
楽しい 悲しい
禁じる 許す
争う 愛する

半輪 黒 「生茶、熟茶 二種」

8653鉄餅生茶はちろくごさんてっぴんなまちゃ
1980年中期 陳蔵茶 (雲南省臨滄地区)

8653とは、茶号(茶の製品番号)で、1980年代初期から現在に至るまで作られている餅茶です。餅茶とは、円盤型にかためられたお茶をさします。1990年代以降、このお茶を包装する紙の文字が、繁体字(現在台湾、香港、日本で用いている従来の漢字)から簡体字(現在中国で一般的に用いている省略した漢字)に変わったため、生産年代をある程度は特定することができます。生茶とは、緑茶がゆっくりと追熟するものをさします。
従来、餅茶はやわらかい布の袋に原料茶葉を詰めてしぼり、手作業で平たく押しつぶして餅茶にします。重石を餅茶の上にのせてその上に人が乗り、人力で体重をかけてひとつずつ作っていました。
1955年、革命の風が吹き始める頃、お茶の産業はすべて中国国営となり、国の管理となりました。政府は従来の手作りの製法から、生産効率をあげるために、ロシアから鉄製の圧縮機を買い入れました。こうして作られたお茶は、鉄の鋳型による丸いぽつぽつが刻まれ、均等に平たく、機械で強力に圧縮するために、飲む時に崩しにくく、茶葉がとじこめられて熟成ができずにまずいと評判だったそうです。
しかし、その圧力の強さが茶葉を生の状態に近いまま封じこめたため、年数を経てみると、はっきりした濃厚な渋みと苦みが壮快で、燻したウイスキーのような口当たりがあり、梅、蘭があわさったような香りが出ているということで、近年再評価されるようになりました。
雲南省の茶山には、クスノキが多くその間に茶樹があるため、お茶に虫がつきにくいそうです。三十年弱を経ても、茶葉はいきいきとした状態で綺麗に戻るので驚かされます。

茶磚7581雷射ちゃせん ななごはちいち らいしゃ

1995年 陳蔵茶(雲南省臨滄地区)

茶磚とは、レンガの形に四角く固めたお茶をさします。
雷射とは、お茶の包装紙の右上に貼られた小さな丸いメタリックなシールで、当時はお茶の偽造防止のために貼られていたようです。また、お茶の包装紙は、国営時代、短期間に何度も書体や紙質、茶というロゴの形、色が細かく変えられています。
それぞれのデザインの違いも面白く、包装ごとに製法、使用原料茶葉に変化を与えたためでもありますが、実際は偽装が多いための措置でもありました。雲南省は、古代から茶馬古道が開かれ、チベットなど遠隔地までお茶を運ぶルートが築かれていました。
陸路の他、チベット、雲南省まで伸びている瀾滄江(メコン川)上流を舟で南下すると、ラオス、ミャンマー、タイ、のゴールデントライアングルを通過して、南シナ海に抜けます。それぞれの国で、積み荷としておろされた後、広東、香港や台湾、シンガポール、マレーシアなどへ転送されました。
文化大革命(1966年から1977年まで)の後半は、中国国内は混乱し、ほぼ鎖国に近い状態でした。茶産業も停滞しました。そのため、周辺の国々は、相当のコネクションがないとお茶を手に入れることができず、密輸入も行われました。
香港の茶商は、ベトナムやカンボジア経由などで大量輸送し、貯蔵していたそうです。
台湾政府は、長い間中国製品の輸入を認めなかったため、台湾の茶商もまた、中国のお茶をそっくりベトナムの包装に包みかえて、ベトナム茶として台湾に輸入していたそうです。
あの手この手の、いたちごっこですね。
このお茶は、人工的に茶葉に水分を与え、茶葉につく菌類を活性化させるために覆いをかけて発酵させる熟茶という製法でつくられており、味わいは穏やかでカドがなく甘く、最初から濃い色のお茶がでます。
ぬれた土や水のような香りがして、蓮の花を思わせる風味もあります。

このお茶が作られた時代、前後の出来事

1972年 日中国交正常化
1977年 中国プロレタリア文化大革命集結
1978年 改革開放路線へ
1989年 64天安門事件
1996年 台湾初の総統選挙
1997年 イギリスより香港返還
1999年 ポルトガルよりマカオ返還

半輪 白 「日光遮断茶、白茶 二種」

月光美人げっこうびじん
2010年 春茶 (雲南省孟海地区産)

月光美人は、月光白の別名で、日光を遮断して作られたプーアール生茶の特色茶です。
雲南の茶山に四月の雨が降ると、茶葉はたっぷり滋養のある水を含みます。
古茶樹といわれる、樹齢数百年に及ぶ茶木は、樹高が3、4メートルにもなり、一本一本しっかりと、大地に深く根を張っています。
一本の木の茶葉総量に対して、根をはっている地面の面積が大きいので、葉の中に土中の有機物や栄養、ミネラルが濃くゆきわたります。また、長い年月、共生してきたさまざまな周囲の植物との関係から、免疫力の強い葉に育ちます。
このような古樹から、一芯一葉か、一芯二葉で摘み取ったあと、自然に乾燥させますが、従来のプーアール茶作りのように太陽の光にあてて萎凋させず、夜干し、陰干し萎凋を行います。この時、お茶の芽の部分が真っ白に、茶葉の部分が真っ黒に変色します。
この工程が、「月光白、月光美人」と呼ばれる所以です。
餅茶の形状にまとめられたものと、散茶のものの二種が作られていますが、いずれも黒と白の二色に分かれた茶葉の色合いが美しく、白い茶芽は星と月、黒い茶葉は夜空を表すそうです。
味わいは、出始めは甘く柔和で、茶の気配が希薄かつ繊細です。草花のようなやさしい香りがして、妙齢の少女を思わせ、時間をおいて蒸らすと次第にしっかりと色づいたお茶になります。

高山生態老白茶 白毫銀針こうざんせいたいろうはくちゃ はくごうぎんしん

2011年 春茶 (福建省福鼎太姥山)

福建省北部に位置する太姥山は、世界地質公園内の500〜1000メートルクラスの山です。この近辺に高山茶の茶区があります。緑茶で有名な浙江省と隣接しており、温州みかんの発祥地、温州に近く、海沿いから内陸山間部に入り込んだ茶産区です。
清朝年間に遡って、この地特有の太白種の茶葉を用いて伝統的に白茶を生産してきました。
大きな新芽をふく品種で、春先の清明節前の一番茶は、太く真っ白な産毛に覆われ、大変立派です。この最良質の茶芽はわずか2週間ほどしか収穫出来ず、四月後半になると葉の産毛量が少なくなり、芽芯も小さくなります。
夏になると、気温の上昇と共に、茶葉の状態が全く変わってしまうため白茶を作ることができません。
秋を迎え、仲秋名月の頃、気温が下がり、秋の新芽が出て来ます。
この時期に再び、太い真っ白な新芽になるそうです。
白毫銀針の秋茶は、春茶に比べてきわめて産量が少なく希少なため、全くといってよいほど市場には出回りません。
秋の白茶は、より陰性を帯びて春茶にはない美味しさがあるようです。
茶の水色は、明るい橙色で、口に含むと爽やかな酸味があり、口中の唾液の分泌を促します。白茶は、植物性ビタミンとミネラルを豊富に含み、血液中の糖分を解体し、抗酸化の効果があるそうです。また、体内の余分な熱をとり解毒する、鎮涼の作用があります。
白茶は、茶葉の見た目が美しいことから、歴史的に皇帝献上茶の「貢茶」指定を受けており、鑑賞用のお茶として評価が高かったのですが、近年の研究で健康茶としての役割も持ち始めています。

このお茶が作られた時代、前後の出来事

2008年 チベット暴動
2008年 四川大地震
2008年 北京オリンピック開催
2011年 東北地方太平洋沖地震
2012年 尖閣諸島(釣魚島)買島デモ
2012年 日中国交正常化40周年

桂花湯

広西省 桂林産の名高い金木犀(キンモクセイ)を乾燥させたものです。
黄桃のような香りがします。
白黒どちらのお茶に投じても、合いますので、はじめはそれぞれのお茶をそのまま味わい、後から桂花を茶杯に加えて、味の変化をお楽しみください。
秋の風韻がお楽しみいただけます。身体を暖める効用もあります。

こちらの二つのお茶席は整理券制になっています。
十月六日、七日共

蜒香紅茶席いえんしゃんこうちゃせき(茶室彩月庵)

蜒香紅茶(台湾新竹蛾眉村産)2012年春茶

蜒香とは、虫香、という意味です。虫の香りのお茶って?悲鳴をあげて逃げ出さないでくださいね。
茶畑の多くは山中に位置し、自然豊かな環境であるほど多くの虫が生息しています。しかし、お茶の木につく虫の種類は限られており、六月の芒種(六月六日)頃、ウンカという虫が茶葉につきます。この虫はお茶の先端部分の非常に柔らかい所を好み、葉の汁を吸います。ウンカのついた箇所は黄色く変色しますが、茶葉は、虫の襲撃で枯れないように自ら抗体を出して反応します。この時にマスカットを思わせる素晴らしい芳香が出ます。この事に気がついた台湾の茶農は、虫害を利用してこれまでにないようなお茶を世に送り出す事ができたのです。こうして誕生したお茶が「東方美人」で、ヨーロッパに輸出されると同時に高い評価を受け、ビクトリア女王のもとにまで届けられました。
この東方美人の製法で作った紅茶が、蜒香紅茶です。インドのダージリンも同様に、オーガニック製法で、農薬は散布せず周りの生態系を守り、ウンカのいる環境を整えて、芳香を生み出しています。
ところで、虫が三つ重なると、「蟲」いう漢字になりますが、もとは生物全般を表す字でした。
鳥は「羽蟲」、魚は「鱗蟲」、獣は「毛蟲」、人間は「裸蟲」だったそうです。
最後に、お茶きちがいの人間のことを、「茶蟲」というそうです。

新秋新茶席しんしゅうしんちゃせき(茶室トチノキ亭)

安渓鉄観音(福建省安渓西坪産)2012年秋茶

八月六日が立秋。立秋過ぎに早々と採茶された、「はしりの秋茶をお楽しみいただきましょう。
本来、秋茶と呼ばれるのは、十月中旬から十一月半ばのお茶。気温がかなり下がり、茶葉が越冬を控えて葉に厚みを増し、冬の到来に備えます。糖分と養分が詰まるためにお茶の味は甘く濃くなり、香りはくぐもったような乳香となる。しかし、この秋茶は、「秋深し」という味わいではなく、「小さい秋見つけた」というような、夏半分の味でしょう。日中はまだきびしい暑さ、しかし夕風には赤とんぼが飛んでいる。早朝、庭の草花に白露がおりてきらきら輝いている。というような。
安渓は、川と山に囲まれた村。みどり濃い固く大きな茶葉からもわずかに漂いはじめる、季の移り。

一天過雨洗新秋 通り雨過ぎた後、洗われたような初秋の空
携友同登江上楼 友と一緒に川辺の高台で、あたりを眺めよう ‘絶海中津の詩’

『茶席のお菓子』

蒼穹(京都市東山区宮川筋)

(あずまや)
 手工 竹炭 紅麹 陰陽クッキー 
 さつまいも黒胡麻けんぴ
 マシマロ
(トチノキ亭)
 沖縄産黒糖板

稲香村(北京百年老字号)

(彩月庵)
 蜜三刀
 山査子羹
(あずまや)
 果仁酥
 開口笑

中国茶会無茶空茶は、一九九七年五月より、中国茶の楽しみをお伝えする
教室を開いています。

中国茶教室 中国茶館  『中国茶会 無茶空茶』
大阪市北区西天満三丁目九の十二
tel fax 06-6361-6910
email muchakucha@nifty.com

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