大山崎春茶会「春来在」
2011年5月14日(土)、15日(日)

問春何處来      春の来るは、いずこから
春来在何許      春の姿は、どこにある
月堕花不言      月は堕ち、花はものいわずとも
幽禽自相語      鳥はさえずり、必ず夜は明ける

明代 高啓の詩 『問梅閣』より意訳

古代中国の人々は、真冬でも枯れないお茶の木、数千年の長きにわたって、必ず芽吹くお茶の新芽を、不老長寿の化身として歴史に重ね合わせてきました。
春の新茶は、再生の象徴。心身を浄化し、清新で新たなる気を呼び込むといわれます。二〇〇八年に日本と同じく大震災に見舞われた中国四川省からも、二〇一一年春、生命力にあふれた新茶の数々が到来しました。
破壊から再生へ、そして希望の祈りをこめた春茶会を催します。

監修:中国茶会 黄安希
茶藝:大塚美雪、長島博子、末松剛介、古澤江美、野口恵未、曽根綾恵、金本徳祐、前悦子、前直明、和田あずさ、佐藤かおり、宮桂子、横山晴美、赤井珠真子、西原ひとみ、西原禎志、島田有貴、樺嶋佳子、大内眞奈美、藤田昌子、中村里子、西村沢子、小倉康代、木下敏江、白橋晶子、安間賀世、安部友佳子、近藤京子、後藤美知子、月本小奈恵、辻内俊雄、田津原寛子、三山香奈子、吉住和恵、堀口一子、下農千晶、工藤和美、栗川智香、飯國悦子、木戸麻希子、黄研、黄安希
於:アサヒビール大山崎山荘美術館
文責:黄安希

僥倖席(茶室彩月庵 下にて)
政和白毛猴 2011年春 明前茶 (福健省政和縣産)

政和白毛猴は通称 “白緑”とも呼ばれ、お茶のカテゴリーの中では、白茶と緑茶との中間にあたるようなものだそうです。白い毛の猿という意味の名は、茶葉の外形がくねくねと曲がった状態で成形されており、白い毛に全身が覆われた猿が、静かに座っているようにみえる、ということから名づけられました。
政和地区は、宋代にさかのぼる古い茶産区ですが、このお茶は二十世紀初頭に世に出始めました。一芯二、三葉ごとに大きく摘まれて丸められた葉だけあって、湯を注ぐと、驚くほど大きくふくらみます。味わいは、微甘、微苦でありながらも豊かな奥行きがあり、葉が湯に浸るうちに、わずかに黄味を帯びた水色が出ます。しっかりとしたおいしさのあるお茶で、少し冷まし気味で長く時間をとって淹れても、芳しい渋さが感じられます。
中国においては、猴(さる)は高い木の上へ登ってゆくことができ、器用な長い手で、樹上の望みのものを手にいれることができることから、祝願栄達のシンボルともされています。西遊記でも、玄奘三蔵が、貴重な仏教の経典を手に入れる難儀な旅に同行して、叱られながらも大活躍しましたものね。

沈思席(茶室彩月庵にて)
白豪銀針 2011年春 明前茶 (福健省福鼎縣)

白豪銀針は、すべてお茶の芽のみで作られています。形は針のようで、白い産毛が緻密に生えており、色は白銀のようです。その姿は人の眼を楽しませ、淹れた直後は、香気が清く新鮮で、淡い滋味があり、味わいの中に、植物のすんなりした生のままの純粋さが感じられます。ゆっくりと時間をおいて抽出すると、お茶にとろみが出て薄いゼリーのような重さとなり、しまいには杏色の柑橘風味のお茶になります。
このお茶は、太白種という特別に大きな芽を吹く品種から作られており、春のよく肥えた新芽を収穫するために、秋冬に茶樹の手入れをしっかりとして養生させます。 冬越えして春一番に吹いた新芽が、一番壮健で太く、すっくりとまっすぐに立ち、春風が暖かくなった時期の二番手、三番手に、わっといちどきに吹いた芽は、斜めになったり痩せていたり、小さかったりするのです。
最良の白豪銀針は、雨の日は摘まない、朝露が完全に乾いていないと摘まない、細く痩せた芽は摘まない、紫色の芽は摘まない、開いた芽は摘まない、人が触って損なった芽は摘まない、穴の開いた芽は摘まない、風にあたって痛んだ芽は摘まない、虫害の芽は摘まない、病気の芽は摘まないという、「十不采」という厳しいルールがあり、茶摘に相当神経を使います。しかし、その製法はきわめて単純で、摘んだ芽を静かに曝し、ゆっくりと乾燥させ、最後にごくごく弱い火で水分を飛ばします。
工程のシンプルさの裏に、茶芽の状態を注意深く正確につかみながら、邪気のないよい茶に仕上げてゆくところに非常な工夫があります。身体の熱気をとり、ストレスや神経の高ぶりをも緩める作用があることから、静かな思索の友となるお茶といえるでしょう。

希望席(茶室 トチノ木亭にて)
坦洋工夫 2010年 夏茶 (福健省福安 坦洋村)

坦洋工夫の歴史は古く、また面白いものです。
はじまりは、清代咸豊年間(一八五一年から一八七四年)にさかのぼります。
坦洋村において、当時まだまだ市場に少なかった紅茶の試制に成功しました。十七世紀はじめにおいて、紅茶はヨーロッパで流行しはじめたところで、イギリスをはじめ欧米において、中国との茶葉貿易が次第に過熱してゆきました。福健省産の茶葉は十八世紀、イギリス人の紅茶に対する嗜好が一段と高まりを見せたことと歩みを揃え、坦洋工夫は、英国王室特供茶の指定も受けました。当時は大変な発展振りであったと見え、「お茶が黄金に換わる、お茶を積んだ舟は龍と鳳凰の橋に停泊している、白銀をもってお茶を量る」などと、はやされていました。この頃は、さらに規模が拡大し、東南アジア及び、日本との茶交易も盛んになり、日本の家庭にもこのお茶が入っていたようです。
清代が終焉し、時代がさがって、民国二十三年頃、抗日戦争の動きが高まってゆくさなか、動乱の世の中で茶業貿易が次第に衰退しはじめ、産量が減少しました。そして、いつしか、坦洋工夫は、輸出向けの「紅茶」から、なんと中国国内向けの「緑茶」に姿を変えてしまいました。一度は世界の覇者であった坦洋茶が、ひきこもってしまったのです。
しかし、五十年後の一九七〇年代、再び「緑茶」がそっくり「紅茶」に変わりはじめました。
「紅茶は、現在、世界のお茶の八〇パーセントを占めるお茶である。福健は紅茶の世界の発祥地であり、今後、紅茶業の発展が起せなければ、真のお茶の世界の先達とはいえない。」
たくましいスローガンの下で、坦洋工夫の「紅、緑、紅」の奇跡の復活劇は、じわじわと体勢を整えながら、2000年以降に持ち越し、まだはじまったばかりです。
福健三大工夫紅茶「政和工夫、白琳工夫、坦洋工夫」は、「正山小種」(世界最古の福健北部の紅茶。松脂の香りが特徴)と手を携え、再び世界を虎視眈々と、ねらっています。

山崎草堂席(あずまやにて)
蒙芽(四川省 名山)
蒙頂甘露(四川省 蒙頂山)
東方緑美(貴州省)
竹葉青(四川省 蛾眉山)

四川、貴州、雲南のあたりは、世界のお茶の発祥地です。四川省雅安は、漢時代(紀元前250年頃。日本は弥生時代前期頃)から続く茶山であり、唐時代のお茶のバイブル、茶経にも出てくる茶産地として中国屈指の歴史の長さを誇ることに加え、はるかチベットまでのびるお茶と馬との交易の道、「茶馬古道」の起点です。人々は、蜀茶(四川地方のお茶)を誇りとし、争乱や天災があっても、数千年に連なり絶えることはありませんでした。2008年、四川省は日本と同じく大震災に見舞われましたが、茶の芽は繰り返し芽吹き、2011年の春も新茶が到来しました。
人々がお茶をほろぼしませんでした。

國破れて山河あり
城春にして草木深し

日本中の心は、今、深く傷ついてはいますが、もし風がそよぎ山が青く笑っているならば、大きく深呼吸して、胸の中まで新鮮な大気をいれてみましょう。
お茶は心を健やかにし、健康をつくります。
健康であれば、長生きすることができるでしょう。
長生きできれば、自分の出来ることが増えていきます。
この席は四川の数種のお茶を楽しんでいただける席です。お茶と大山崎の美しい自然が、今日一日の小さくも確かな、安らぎになりえますことを祈ります。

春風に吹かれながら茶を啜る楽しさよ

2011年4月2日から6日まで、四川省雅安のお茶の旅を撮影した、wulanさんによる生き生きした四川の素顔の写真を展示しています。合わせて御覧ください。

to turn ones luck around
「転変運気太極拳」

十五日 日曜日 あずまやにて 十三時 十五時まで

緑の芝生の上で身体をのびのび、簡単な太極拳を行います。どなたでも是非ご参加ください。最後に、参加者全員で大空にタケトンボを飛ばします。
南中国では、風車、タケトンボは、運気をよい方向に即転させ、一年の幸運を呼び込むものとされています。

講師 洲濱紀子(すはまのりこ)
楊名時健康太極拳準師範。こころとからだのつながりを大切にする楊名時太極拳の普及につとめている。

『茶席のお菓子』

蒼穹(京都市東山区宮川筋)    すずやき、あわおこし、きなこだま、チョコレート、鬼せんべい
北京より             ひ干金柑、烤杏仁

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