杜甫詩選 三十八首
二〇一一年大山崎春茶会 山崎草堂席の為に

昔我去草堂      昔、わたしが草堂を立ち去った後、
蛮夷塞成都      蛮人どもが成都にみちあふれた
今我歸草堂      今、わたしが草堂に帰ってみると、
成都適無虞      成都は、たまたま平和にたちかえった

杜甫  唐代の詩人。(七一二年〜七百七十年)
政情不安、流浪と不遇の生涯の中、千四百五十首あまりの詩と散文を残す。
初期は、戦乱の悲壮な悲しみや自己の憂愁をうたったものが多いが、次第に個人の悲しみが、詩を通じて、時代や国を超えた人間普遍の悲しみと誠実をうたうことに昇華されていった。
晩年、故郷に戻ろうとして果たせず、舟に乗り、二年間湖北省、湖南省の水上をさまよい舟上で生涯を終える。

杜甫が、四川省成都市内に新居を結び、草堂と名づけて定住生活した四年間は、杜甫の生涯において最も幸福な時期であり、自然と人間愛に満ちた多くの詩が生まれた。 現在も、杜甫草堂には多くの人々が訪れる。
山崎草堂席は、二〇〇七年震災に見舞われた四川省から、二〇一一年の日本への鎮魂のオマージュとして、四川の新茶と杜甫の三十八首の詩をもって、破壊と再生、希望への祈りとするこころみである。

「参考文献」杜甫 上・下 中国詩人選集9 10 岩波書店

落日平台上      日の落ちかかるころ、平らな石の上
春風喫茗時      春風に吹かれながら茶をすする楽しさよ

國破山河在      くには破壊されたが、山も河も昔のままだ
城春草木深      都には春が訪れ、草や木が青々と茂っている

花陰掖垣暮      花の姿はおぼろになり、宮殿の垣根は夕暮れ
啾啾棲鳥過      鳥はちゅうちゅうなきながらねぐらに帰る

一片花飛減却春    ひとひらの花びらが散ると、春はそれだけ衰え
風瓢萬點正愁人    万片の花びらが吹き飛ぶと、人の愁いを誘う

朝囘日日典春衣    毎日、朝廷から帰ったら、春のきものを質に入れ
毎日江頭盡酔歸    河のほとりで存分に酔いしれてから家に帰る

傳語風光共流転    春景色にことづてしよう 私もお前もともに時を過ごし
暫時相賞莫相違    しばしお互いに大事にしあって、そっぽをむかぬように

老樹空庭得      人気のない庭には老樹のみ
清溝一邑傳      泉は清らかで村中をみちびく

映堦碧草自春色    やしろのきざはしに映ろうみどりの草は、かってに萌え
隔葉黄鸝空好音    葉陰のうぐいすは、きままによい声でないている

清江一曲抱村流    澄んだ川の水がひとまがりして村を抱きかえるように流れ
長夏江村事事幽    日長の夏の日、川沿いの村はなにごともなく静か

眼見客愁愁不醒    旅人の愁いは、こんりんざい醒めることはないのだぞ
無頼春色到江亭    それなのに、無遠慮な春景色はここまでおしかけてきおった

恰似春風相欺得    春風め ゆうべから今朝にかけて
夜来吹折數枝花    数本の花の枝を折ってしまった

莫思身外無窮事    わが身にかかわることがらは、ひとまず置いて
且盡生前有限杯    まあまあ、命あるうちに、限りあるさかずきを尽くそう

蒼苔濁酒林中静    林の中、あおい苔も、濁り酒もひっそりし
碧水春風野外昏    野づらでは緑の川も春風も花くもり

舎南舎北皆春水    家の南も家の北も一面に春の水
但見羣鷗日日永    かもめの群れが毎日やってくる

花徑不會縁客掃    花の咲いた小道をお客のために掃除したこともないが
蓬門今始為君開    よもぎの門を今日はじめてあなたのために開こう

好雨知時節      よい雨はその降るべきときを知り
當春乃發生      春のときをはずすことがなく生ず

隨風潜入夜      雨は風のまにまにしのびやかに夜にまぎれ
潤物細無聲      こまやかに音もなくものをうるおす

野徑雲倶黒      野のこみちにかぶさる雲は、黒々とし
江船火獨明      川船には、漁火がただひとつ、あかあかと燃えている

暁看紅濕處      夜が明けて紅のしめっているところをみやれば、
花重錦官城      それは錦官城に花がしっとりぬれている姿

坦腹江亭暖      あたたかな陽射しのそそぐ川べりの亭で、大の字にねそべり
長吟野望時      詩を声ながく口ずさみ野をながめやる、その時

水流心不競      水はゆうゆうと流れているが、私の心はそれに競わず
雲在意倶遲      雲はじっととまっていて、私の気持ちもゆったりしている

寂寂春将晩      春は音もなく暮れてゆこうとしている
欣欣物自私      物はみなよろこばしげにめいめいの暮らしを遂げる

芳菲縁岸圃      岸をふちどるはたけでは、草花がいいにおいを放っており
樵焚倚灘舟      早瀬に身を寄せる舟では、しばを刈ってめしをたいている

花飛有底急      なぜ、あわただしく花は散ってゆくのか
老去願春遅      老いたる身には、春の歩みの遅いことを願う

江流大自在      川筋の旅は自由なものだ
坐穏興悠哉      じっと坐ったまま面白みは尽きない

花近高樓痛客心    花はたかどののすぐそばまで咲き乱れているが
萬方多難此登臨    天下の多難の姿を眺めている私の心は痛むばかり

遅日江山麓      遅い日ざしをうけて、江も川もうるわしく
春風花草香      春風に運ばれて花や草がにおう

泥融飛燕子      泥がとけたのでつばめは巣をつくろうと飛び回り
沙暖睡鴛鴦      すなはまが暖かなのでおしどりがここちよげに眠っている

江碧鳥逾白      江はふかみどりに、鳥はいよいよ白く
山青花欲然      山はさみどりに花は燃えんばかり

今春看又過      今年の春も、目の前を過ぎて行く
何日是歸年      いつの日に、故郷に帰れることか

正是江南好風景    まさに、今ここにあるのは、他ならぬ江南の春景色
落花時節又逢君    花散るこの時節に、また、あなたにお逢いしようとは

春水船如天上坐    春の水にうかべた船にいると、天上に坐っているようだ 
老年春似霧中看    目にうつる花は霧のなかで見ているようにぼんやりする

三月三日天氣新    三月三日天気はあらいたてのように晴れわたり
長安水邊多麗人    水際には多くの麗人たちが遊んでいる

世亂遭拭涙      世の乱れのために涙を流してさまよい
生還偶然遂      偶然にも生きてかえることができたのだ

雨露之所濡      雨や露に潤されて
甘苦斉結實      甘いものも苦いものも同じように実を結ぶ

主稱會面難      あなたはいう 会うことはなかなか容易ではない、と
一舉塁十觴      そして、ひといきにさかずき十杯をのむ
十觴亦不酔      十杯のさかずきを重ねても酔いはしない

無家別

寂寞天寶後    天宝の乱より後は、なんともさびしいことよ
園濾但萵藜    はたけや小屋には、よもぎやあかざが生い茂っているばかり
我里百餘家    わが部落には百軒あまりの家があったが
世乱各東西    世の中が乱れてそれぞれ東に西に散らばってしまった
存者無消息    生きているもののたよりも知らず
死者為塵泥    死んだものはちりやどろに変わってしまった
賎子因陣敗    わたしは戻ってきて、もとの小路をたずねてみる
歸来尋舊蹊    長いこと旅に出ていて
久行見空巷    久しぶりに人気のない村中の道を見てみる
日痩気惨悽    太陽の光もやせほそり、大気もいたましくものがなしい
但對狐興狸    ただ、きつねやたぬきに出会うばかり
豎毛怒我啼    彼らは毛をさかだて、わたしに対して怒り声をあげてなきたてる
四隣何所有    となり近所に住んでるものは誰かといえば
一二老寡妻    ただ一人二人のやもめばあさんばかりだ
宿鳥戀本枝    木に宿る鳥はもとすんでた枝をしたうというが
安辞且窮棲    わたしにとっては荒れ果てたとて、なつかしい故郷だ
方春獨荷鋤    ちょうど春なので、ただひとり鋤をになってでかけ
日暮還灌畦    日が暮れると、また畠のうねに水をそそぎかけるのだ
縣従本州役    お役人はわたしのもどってきたことを知り
内顧無所攜    わたしを呼びつけ、陣太鼓をうつ練習をさせる
近行止一身    自分の故郷の仕事をしてはいるが、ふりかえってみるに家族とてない
遠去終轉迷    遠くにいくにしても、近くにいくにしても、
家郷既盪盡    ふるさとがすでに、洗い流されたようになってしまった今となっては
遠近理亦斉    どちらにしても道理はひとつしかない
永痛長病母    わたしが永遠にいたましくおもうのは、長患いしていたおっかさん
五年委溝谿    そのおっかさんのなきがらをもう五年間も荒地にほうりだしている事
内我不得力    おっかさんはわたしを生んでくれたのに、わたしを力とたのめず
終身兩酸嘶    一生涯、ふたりともどもつらく思って泣いたのだ
人生無家別    人と生まれて別れるべき家族を持たぬ別れをする
何以爲蒸黎    何をもって、わたしは人といえるのだろうか

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