大山崎円遊会「秋」
2009年10月10日(土)、11日(日)

石馬長嘶漢苑風    石馬 漢風に吹かれ長くいななき
地敞中原秋色尽    地平 中原の彼方まで 秋色
天開万里夕陽空    天空 万里の彼方まで 夕陽

「杪秋登太華山絶頂」明李攀龍の詩より意訳

秋。
新たに来たる友。
旅の途中の友。
分かれ難くも、去りゆく友。
再会を大いに祝する友。

澄んだ大気と広がる天地の下、巡り来る季節と人生の大いなる邂逅を、一杯の茶盃の中に汲みとる、秋の園遊会を、大山崎山荘庭園にて催します。

監修:中国茶会 黄安希
茶藝:大塚美雪、下農千晶、中村里子、野口恵未、小倉康代、曽根綾恵、古澤江実、寺井美和、前悦子、前直明、道田あずさ、堀口一子、横山晴美、横山由里、松森洋美、西原ひとみ、西原禎志、西村慶子、赤井珠真子、木下敏江、安部友佳子、近藤久美子、樺島佳子、工藤和美、吉住和恵、西村沢子、吉田幸子、近藤京子、佐藤かおり、大内真奈美、藤田昌子、末松剛介、西口いづみ、西口真利子、望月雅大、栗川智香、黄研、黄安希
於:アサヒビール大山崎山荘美術館
文責:黄安希

絲綢之路席(シルクロード席)(茶室彩月庵にて)
敦煌茉莉花茶(甘粛省 敦煌出)

敦煌は、絲綢之道(絹の道)シルクロード道程中の砂漠の中のオアシス都市です。
最低気温は、零下二十度以下、最高温度は摂氏四十三度と、年間で六十度以上の差がある氷と炎熱の街です。通常おびただしく乾燥しており、一年間の平均でわずか三十六ミリしか雨が降らないのに、祁連山脈からの雪溶け水が流れこむおかげで、周囲に広がるゴビ砂漠の一隅であるこの地を潤しています。乾いた大地からは、メロン、スイカ、馬乳葡萄、水晶葡萄、石榴などの甘く瑞々しい果物や、葡萄酒、良質の綿花などが収穫されます。このような立地から、古来より敦煌は、シルクロードの要所として、二千年以上も前から栄え、より多くの物流が行き来できる「海のシルクロード」が拓かれ、マラッカ諸島を迂回して、中国南方の港に至る海上ルートが確立するまでの間、栄えました。シルクロードは、「ローマから長安まで」あるいは、奈良の正倉院にみることができるように、「ローマから日本まで」の古代の道筋であり、紀元前より、月氏、羌族などの、西域の異民族との衝突、均衡を繰り返しながらも発展し、ウズベキスタンやペルシャなどの中央アジアの商人のキャラバン隊の術数によって、磁石が使えないほど磁場が混乱するともいわれた死の砂漠、タクラマカン砂漠を横切り、中国のシルクや陶磁器が運ばれてゆきました。そして西域から、南方アジアの香料や銀器、銅器、宝石など、そしてインドからは仏教が伝えられました。陶磁器の発展にともない、茶の国、中国からさまざまなお茶が運ばれてゆくのは自然の流れ。そして、西域からはペルシャ原産の茉莉花が入ってきました。茉莉花茶は、現在では、北京を中心とする北方の日常茶として知られていますが、北京は、敦煌と緯度はほぼ同じで、東西に並行な立地です。どちらも緯度の関係上、茶の栽培北限地を越えており、茶の生産には向きません。はるかな茶産地から運ばれたお茶が、途中でペルシャから来た茉莉花茶に出会い、香りつけされることは、交易の町、敦煌という存在をそのままあらわすようです。そして、エキゾチックな国際都市であった敦煌を通過した茉莉花茶が、何千キロも東に離れた都、北京において人々の生活に根ざすのも お茶というものが長い間の『往来』によって伝えられるということをあらわすようにも思われます。道というものは、人々の往来によって築かれます。時には再会を喜ぶことが出来、時には、二度とあいまみえることのない邂逅もあったことでしょう。
漢詩の中には、送別詩と言うジャンルがあり、中国の広大な広さと自然を前に、二度をたどることのできない運命、人生の出会いと別れの境地をえがきました。出会いと別れの『一杯』には、多くの物語が秘められています。

渭城朝雨潤軽塵  別れの朝、渭城の朝の雨は、ほこりをうるおし
客舎青青柳色新  旅館の柳は雨に洗われ 一層青々とみえる
勧君更尽一杯酒  別れ行く君よ もう一杯飲みたまえ
西出陽関無故人  陽関を出たなら 親しい友はいないのだから 
王維「送元二使安西」 ‘陽関’は敦煌より西南方の西域へのルート上。中国側最後の関所。

佳茗席(茶室トチノ木亭にて)
武夷四大名叢 白鶏冠(福建省)

福建省武夷山は、唐代に茶山として知られるようになり、宋、元、明の三代で貢茶(宮廷献上茶)を生産する指定を受けています。宋代に特殊な献上茶、龍団鳳餅などを生産する皇家御茶園『北宛』もおかれ、茶の香色が衰えず優れているということでした。細分にランク付けされており、摘み取り時期で、先春、探春、次春、紫筍などがあり、状態によっても、旗槍、石乳などの名称でも分けられました。 武夷の茶は、山中の岩肌から茶樹が生じる特殊環境であるため、茶味に、岩のミネラルが溶け込んでいるとされ、これを『岩骨』と呼びます。澄んだにごりのない味わいながらも、武夷の茶にしか現れないような個性が、はっきりと強く出ており、他の地では見られない特徴があるとして、『岩韻』と呼ばれています。
さて、お茶はものをいいませんが、このように人間はかしましい。
宋代の範仲庵は、『奇茗冠天下』とたたえ、文人、蘇軾も武夷の茶を高く評価し、多くの詩に詠みました。
清代の文人、袁枚は、美食についての随筆集『随園食単』のなかで、武夷の茶を好まず、「苦くて濃いこと飲薬の如し」とけなしましたが、一年後の秋の日、武夷山に再度遊び、武夷山中の山寺で、僧侶が胡桃の殻ほどの茶杯に淹れた武夷茶を持ちだしてきて、接待を受けた際、その鼻をうつような清冽な香りと舌先に残る甘さに驚き、続けて三杯飲んだかと思うと、『これに比べると龍井茶は清いが物足りない。陽羨茶は重いが余韻がない』と、他の名茶を引き合いに出して、手のひらをかえすような、褒め称えぶり。
武夷の茶は、漢方薬と等価であるほど薬効が高いと考えられており、臓器の働きを高め、消化をよくし、身体を温め、渇きを潤すなどとされており、幾百年も名声が衰えることがありませんでした。歴史と生命力が為した。中国名茶の一であるといえるでしょう。

落花紅茶 生姜紅茶席(茶室トチノ木亭下にて)
祁門紅茶 (安徽省) 桂花(広東省) 生姜(四国)

秋になると、色濃いお茶がおいしく感じられるようになります。祁門紅茶は、中国紅茶として、最も知られた銘柄で、世界三大紅茶としても知られています。中国茶とは知らなくても、紅茶のキームンというと、飲んでみられた方が多いかもしれません。
歴史的には、意外にも近世になってからの茶で、1875年頃から製茶がはじまりました。主に海外輸出をターゲットとし、東方の飲み物としても欧米人に喜ばれる風味と、欧米式の食生活に合ったため、世界的に評価が高くなりました。紅茶は、タンニンを豊富に含み、肉食の持つ弊害、血液の酸性化を矯正する働きがあります。
本国、中国では、紅茶を飲む習慣は少なく、紅茶以前の茶類のほうが広く普及しており、油分の多い中国料理に対してよく働きかけるお茶が、他に多いせいかもしれません。
祁門紅茶は、細かく丁寧に揉まれて、手をかけて作られているため、工夫紅茶といわれています。明るく透明に冴えたオレンジ色の水色と、完熟に近い果実のような新鮮なみずみずしい香り、喉に通してみても渋みがなく、華やかでありながら、底深いオリエンタルな風味も感じられます。美しく朗らかで社交的な中国女性の如く、思索の友というより、社交の友となり、広い世界にはばたいてゆきました。しっかりと発酵させて作られているので、本質を損なうことのない性質、ストレートで飲んでも美味しく、何かを加えてもよし。どんなドレスでも着てみせましょう。
金木犀の花をいれると、香りが飛翔し、花は甘く、お茶はエレガントにほろ苦く。
生姜をいれると、酸味が際立ち、スパイシーでじんわりとした風味になります。

酥油茶席(バター茶席)(うさぎの彫刻のある庭 あずまやにて)
雲南餅茶 2007年熟茶 ミルク バター モンゴル岩塩
雲南省  チベット族の茶道具を用いて

雲南省は、多数の少数民族が居住する場所です。その中で、ひとつの少数民族であるチベット族の日常の茶として毎日、飲まれているのが酥油茶です。これは、長い筒状の茶道具を用い、プーアール茶とヤクのミルク、ヤクのバターを混ぜて、上下に棒でついて攪拌したもので、塩で軽く味をつけて飲みます。標高高い土地に住まうチベット族にとって、このお茶から、植物性の栄養、ビタミンを取るために欠かせず、食事のたびに飲みます。味は、ミルクを泡立てることで軽い口あたりとなり、スープのようでもあり、なかなか美味しいものです。家に来客があれば、主人は来客に敬意を表すために、第一にこのお茶を勧めます。お祭りの時は、富裕な家が、寺の僧侶、信者、集落全体にこのお茶を振る舞うために、大きな釜でお茶を煮ます。親しい人が家を出て、遠くはなれて出ていった時、家人たちは、一碗のバター茶を必ずその人のために淹れておき、一路が平安で無事であることを祈ります。

漏影春席(あずまやにて)
抹茶

抹茶は、日本独特のお茶のように、思われるかもしれませんが、中国茶として宋代まで盛んに用いられていました。茶の葉を蒸してから、臼でついて餅のように固めたものを薬研などで、飛沫のようになるまで細かくひき、茶椀に淹れて、竹のささらで作った茶筅で撹拌して飲んでいました。この抹茶の飲み方に、遊戯の要素が加わったのが、『漏影春』というものです。
茶碗に切り紙を置き、上から抹茶をふりかけてから、紙を外し、出来た模様に桂圓などの果実で飾ります。
飲むために、お湯をいれると消えてしまうところが贅沢ですね。

工夫茶席(あずまやにて)
凍頂烏龍茶(台湾)

宋代までが、抹茶、明代以降は泡茶という、急須に茶葉を入れて、湯をさし、お茶のエキスを湯に抽出して飲むというのみ方が主流となりました。現在の一般的なお茶の淹れ方ですね。凍頂鳥龍茶は、みどりのほろ苦さと、口当たりの甘さ、花のような香りがよく調和したお茶で、誰にでも好まれるやさしい味です。

紅白花茶席(あずまやにて)
ひしゃくですくって、ご自由にどうぞ。

紅 西蔵紅花(チベット)
赤い色と酸味が特徴。ビタミンが豊富で消化吸収に働く。食欲の落ちた時、胃がもたれたときによい。酸梅湯などの伝統的清涼飲料の材料になる。

白 貢菊 (安徽省)
飲用の菊として紀元前にさかのぼる。去熱、鎮静、目の疲れに効用がある。旧暦九月九日の重陽の節句(十月二十七日頃)に菊茶、菊酒を飲む習慣があり、一年の災いを避け、場を清める効果があるとされた。

『茶席のお菓子』
蒼穹 (京都東山区宮川筋)

彩月庵     椰子ロースト
トチノ木亭   瓢雪
トチノ木亭下  生姜砂糖
あずまや    黒糖豌豆、パイナップルの芯砂糖漬、ブルーベリーの花林糖、姫牡丹

『アルゼンチンタンゴ演奏会』
十一日は、秋の景色に染み入るような、美しい音色、喜びと哀愁に満ちたバンドネオンとヴァイオリンのデュオによるアルゼンチンタンゴの生演奏会も開催致します。(十三時・十五時)中国茶を飲みながら、お楽しみ下さい。

バンドネオン 力石裕澄美 (ちからいしひとみ)
アルゼンチンタンゴのバンドネオンに魅せられて早川純氏に師事。京都バンドネオンクラブの指導者としても活躍。

ヴァイオリン 柴田奈穂(しばたなほ)

ピアゾラに衝撃を受け1999年よりタンゴを弾き始める。2003年アルゼンチンに渡り、世界最高峰フェルナンド スアレス パス氏に師事。 2006年ファーストアルバム「ブエノスアイレスの冬」を現地トップミュージシャンとレコーディング。発表。

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