
大山崎春茶会「千里一時緑」
2009年5月16日(土)、17日(日)
凄涼四月闌
千里一時緑
暁は涼しく
暮は涼しく
樹木は車の幌のように
こんもりと盛り上がり
山々の濃い緑は雲よりも
高く盛り上がり
この季節は
またたく間に去り行くのだ
千里四方をすべて緑にして
歓を尽くし、
無辺際の春を享受するこのあいだに
(唐代 李賀 詩 巻一 河南府試十二月楽辞
四月 巻二 長歌 短歌を続く より 意訳)
注。この詩に詠まれた四月は旧暦の四月で、今の五月頃にあたる。
監修:中国茶会 黄安希
茶藝:大塚美雪、下農千晶、中村里子、西田裕美、野口恵未、古澤江実、前悦子、前直明、道田あずさ、宮桂子、横山由里、松森洋美、西原ひとみ、西原禎志、堀口一子、赤井珠真子、樺島佳子、工藤和美、佐野陽子、西村沢子、山村貴子、藤田昌子、横山晴美、吉住和恵、近藤京子、島崎ゆみこ、佐藤かおり、末松剛介、西口いずみ、西口真利子、栗川智香、黄研、黄安希
於:アサヒビール大山崎山荘美術館
文責:黄安希
桃源境席(茶室彩月庵にて)
五月十六日 十七日 共
桃花(湖北省武凌)
〈晋の時代、武凌に魚を捕るのをなりわいにする人がいました。渓に沿って船に乗って川を進み、どれほどの遠さを来たのかも忘れるほどの頃、突然に桃花の林に着きました。両岸を挟んで数百歩、芳しい草は鮮やかに美しく、落ちる桃の花びらは香り高く、はらはらと飛んでいます。釣り人は、なんとも不思議に思われ、さらに船を進め、桃林の奥をきわめようとしました。すると、ひとつの山に突き当り、山の中に、人一人がようやく通れるほどの小さな洞穴があって、光がもれています。釣り人は、船を捨て、その入口に入り数十歩進んでゆくと、突然、視界がからり、とひらけました。
釣り人がたどりついた先は、豊かに肥えた土地、美しい池、桑や竹が緑なす別天地。村人は、幼子から老人まで屈託のない、楽しげな様子。釣り人はどこから来たのかと村人に問われ、また誘われるがままに皆の家に招かれ、歓迎を受けます。話を聞くと、村人たちは、先の戦から落ち延びて、外界と隔たり、世の中の移り変わりを何百年間も全く知らずに、平和に楽しくここで暮しているのでした。釣り人は、楽しく数日を過ごし、さて、いいよ、いとまごいをする時になって、村人から『私たちのことは、お話にならないほうがいいでしょう。』といわれます。釣り人は、もとの船を見つけて、もと来た岸をたどり自分のすまいへと戻る途中、道を忘れぬように、と、途中、あちこちに目印をつけたのですが、以後、二度とこの村が誰にも見つかることはありませんでした。〉 「桃花源記 晋代 陶淵明 作より」
桃花流水。川の水に乗って流れてくる、一輪の桃花。その花が流れてきた上流に向かって進んでゆけば、この世との境界、見渡す限りの桃林に行き着くのでしょうか。「桃源境」は、別天地への、入り口をしめす場所です。中国では、桃花は、古来より繁栄の象徴であり、禍いをさける力があるとされています。また、桃の果実は、不老長寿の果実であるとされ、天界の女神である西王母の持つ桃は、「仙桃」と呼ばれ、三千年に一度、花を咲かせ、三千年に一度、実を結び、その桃の実を食べたなら、六百年も寿命が延びるそうです。
桃花に湯を注ぐと、ゆっくりと花が開き、不思議なことに、杏仁を思わせる香りが漂います。つかみどころのない、芒洋たる夢のごとく、かすかに甘い、そしてほろ苦い味。 桃に誘われ、船をとめ、釣竿を下し。しかし、ここはまだ道の途中でしょうか。いつかたどりつくかも知れぬ桃源境に思いを馳せながら。花に湯を差した「花湯」は、遠来からの客人の喉をまず潤すのに出され、また主客が茶を飲みつつ親しく語らった後、客人が去ろうとすれば、もう一度湯を出し、帰路に着く客人の身を思いやるという、貴族から庶民まで広く行われた古きよき風習です。
洞庭湖席(茶室 トチノ木亭にて)
五月十六日 十七日共
君山毛尖(湖南省洞庭湖君山島)
湖南省は、揚子江の流域に、古くから三国志でも有名な楚の国として開け、文化が栄え、茶の歴史も古いところです。佳品の茶を産する所として、唐代よりすでにその名が広く知られていました。仙人が修行した神仙山である衡山があり、また、茶を発見したとされる神農の墓といわれている「茶陵」もあり、また付近の山々には、野生茶がたくさん存在したようです。この、湖南省にある洞庭湖は中国一の大きさをもつ湖として知られています。この湖に浮かぶ君山島の緑茶は、清朝末期に至るまで皇帝献上茶、「貢茶」指定を受けた歴史のある名茶として有名です。君山島は、小さな島ですが、変わった動植物がいる場所としても知られ、全くうろこのない銀色の魚「銀魚」や、金色の甲羅の亀「金亀」などがいます。この島を代表するお茶が、「君山銀針」という黄茶ですが、「君山毛尖」という釜炒りの緑茶も作られています。くるくると螺旋状にねじれた幼葉は、春満ちる洞庭湖の景色を香りに封じこめたような、新鮮で冷涼な香りがします。
湯をさすと、ゆっくりと逆戻りにねじりが緩み、細い細い茎についた二枚葉と新芽の姿があらわれます。やわらかく煮た翡翠色の豆のような香りの、馥郁としたまろやかな新茶の旨み。その奥に明前茶(四月五日までに収穫された早摘み茶のことをさす)特有の、太陽をあまり知らぬまま摘み取られ、手作業で窯炒りされた茶のみがもつ、雑味のなさ緑の清潔さ。伸びゆく生命が封じ込められた春茶の醍醐味です。
菜の花や
月は東に
日は西に
与謝蕪村のよんだ、天地を包む菜の花畑、春の景色の広大さ。唐代の詩人、杜甫も洞庭湖の景色をこのようによんでいます。
昔聞洞庭水 私はかつて、洞庭湖の広さを聞いていた
今上岳陽閣 今、岳陽楼というところに上って、その湖を眺めている
呉楚東南(土)斥 呉国と楚国は二つに引き裂けてこの湖になり
乾坤日夜浮 天も地も日に夜にこの水の上に浮動しているのだ
昔日茶館席(兎の彫刻のある庭にて)
五月十六日 十七日共
赤い布のはためく茶幌子(茶館の看板)をぶら下げた昔風の茶館を開館致します。
涼しいあずまやの昔日茶館で、お好みのお茶をご注文ください。
「茶館はお茶をのませる場所であるが、過去において特殊な発達をとげ、クラブのように利用され、 取引の商談などもここで行われた。茶壺にお湯を入れ、熱湯を注いでもらうが、自分好みの茶の葉を持参するものもある。
普通用いられる茶には、竜井、雀舌、雨前、銀針、竜団、鳳髄、六安、老君眉、松羅、普アール。。などがあり、主な産地としては、浙江、安徽、江西、福建、湖南の五省があげられる。
茶の葉を売る茶荘は、商店街でも堂々とした店構えをして、かつて全世界に茶を提供していた中国の茶業の盛大さをしのばせる。日本なら酒を一本さげていくところを、中国なら茶の葉の包みを懐に入れて行くという、そうした国柄である。特に華北のように、雨量が少なくて、しかも蒸発がさかんな気候の中では、人々の汗腺から発散する多量の水分を絶えず補給する必要がある。大陸の住民たちの間に喫茶の風習が早くから発達したのも、このためである。」 「北京風俗図譜 より 引用」
茶館は中国のカフェ。
清濁をのみこむ社交場、コミュニティ。かつては女人禁制の場所でもありました。
噂話の発祥地、情報交換、商売の交渉、秘密の取引、もめごとの仲裁。コオロギや鳥の愛好家は籠持参で同好の志と交流。湯気と喧噪、話し声、茶器の音、鳥の歌声、虫の声、そして音楽のるつぼです。お茶を飲みながら、瓜の種や乾した果物をかじったり、美味なる点心に舌鼓をうったり、議論したり、時間をつぶしたり。そして文化を育てました。
二胡や琴や琵琶の演奏、昆劇、京劇、広東オペラなどのお芝居も茶館が舞台となりました。まずい演奏、まずい演技には容赦なく、茶椀が床に投げつけられることで抗議され、素晴らしい時には満場四方から「好(ハオ)。好(ハオ)。」の声がかかります。
一日の中で、お茶を飲む空間に出向き、過ごす時間をもつ。
お茶は、心を平かにし、身体を健やかにし、休息を与え、正しい判断を導き、芸術を昇華させ、新しい思索をまとめる助けをします。それは何歳になっても続けることができ、自己と向き合い、他者と向き合い、社会と関わるひとときです。
茶譜
橘茶 蓮芯 香片 雀舌 単ソウ 酸梅湯
提花席(温室通路にて)
五月十六日 十七日共
福建緑牡丹(福建省福州)
柚子花 酢橘花(香川県)
福建省は、茶処として有名ですが、青茶、白茶、緑茶、紅茶など、多くの種類のお茶が作られます。また、茉莉花の生産拠点としても有名です。
茉莉花は、気温が高くなる初夏から秋まで、長く順番に開花し、夜になると香りが高くなります。このことから「夜来香」などとよばれています。開花直前までにふくらんだ蕾が最も香気が高いとされ、開いた花を白花、まだ固い蕾を青蕾、開花直前の蕾を当天花と呼びます。
香り付けには、当天花が適しているとされ、手摘みで花を摘んで、お茶に混ぜ、花の香りをお茶に吸わせるのです。雨に濡れた花は湿気を含んでいるため、雨天の後は花摘みは行いません。
茉莉花以外にも、漢民族は、お茶に香り付けをすることを好み、古来から、香りのよい花や、果実でお茶の風味を高めることを行ってきました。
珠蘭、白蘭花、メイクイ花、桂花などのほか、柑橘の花も好まれています。
柑橘の花は、広西、福建、台湾、浙江、四川、などで作られていますが、花期が非常に短く半月ほどしか咲かないために珍重されています。しかし、植物性のオイルを含んだ非常に強い芳香をもつために、橘茶として香付けされる他、歴史的に、春期に茉莉花の香りが不足している時に、茉莉花茶の香りの「打底」、仕込みの香りとして使われていました。
柑橘の花は、痛みをやわらげる鎮痛の効果があることも知られています。
香り付けは、茶葉に花をまぶし、覆い、ひっくり返し、水分を飛ばしながら行われます。
香りを吸わせた花は取り除きます。
最終的に、花の姿がなく、香りだけをまとった状態のお茶に仕上げられていくのです。
この茶席では、福建省産の緑茶を籠にいっぱい広げ、柑橘の花で覆います。
香りを少しずつ吸わせながら、2日間のお茶会の間に着香してゆきます。
2日間の間、時間の経過とともに、お茶の香味が変わってゆくでしょう。
どうぞ、何回も、香りの変化を確かめにいらしてください。